村田氏 :
私はお二方と違いまして、長いこと福祉の現場ではなくNHKで働いてきました。アナウンサーとして入社し、1990年に解説委員となった際に「福祉を担当するように」と言われ、部署移動で福祉に関わるようになりました。そして私はどういう立場で放送していけばいいのかなと考えました。
私は大学で福祉を勉強したわけでもないし、アナウンサーとしても福祉を担当したことがありませんでした。その頃女性が担当するのは福祉か女性問題のどちらかで、もう一人私と同時に異動になった女性が、女性問題をやりたいと言いましたので、福祉が私の方にまわってきたという経緯です。
さて福祉ということを考えた時に、私は自分の経験を思い出しました。というのも私は両方の股関節を手術していまして、人工の股関節が入っています。おかげさまで普通に歩くこともできます。最初に手術をしたのが今から24〜25年前です。その時半年入院して手術とリハビリを行い、局に復帰しました。復帰当時は杖をつかなければならなかったんですが、非常にショックを受けたことがあります。
みんなは優しい言葉をかけてくれるんです。
「大変だったね」
「辛かったでしょう」
「はやく元気になってね」
これは私にとっても嬉しいことでしたし、早く治るようにがんばろうと思いました。しかし一週間か10日経つと、なんだか居心地が悪くなってきました。
みんなはやさしいけれども、自分が落ち着かない。
その当時はアナウンサーの仕事をしていましたが、私は特に現場に赴いての取材を主としていました。杖をつきながらその仕事をするのはちょっとしんどいわけです。一緒に動くグループのみんなと同じ行動をとれないので、移動などで遅れがちになってしまったりします。だけどたまたま杖をついてついていただけですから、ほんの少し歩調を緩めてくれたり、荷物を持ってさえくれれば今までと同じように仕事ができるのです。私はそうしたいと思っていましたが、周囲は
「いいのよ村田さん、足が悪いんだから何もしないでいいのよ。わたしたちがみんなやってあげるわ」と言うのです。
これは言い換えると「排除の論理」です。つまり私は「足の悪い村田さん」という特殊な存在になってしまったのです。そして足が悪い間は「かわいそうな村田さん」と、周囲の皆から見下ろされ続けていたのです。
このことが印象に残っていたのですが、福祉をやるようになってから「ああそうか」と納得がいくようになりました。あの時自分が感じたのは、高齢者や障害を持つ人が長い間感じていた辛さや居住まいの悪さと同じものなのだなと。
こんな社会にしてはいけない。〜してあげる、してもらうという関係であっても、人間として対等な関係を結べる社会を作らなければならないんだなと感じながら、福祉に関わる仕事をしていこうと思いました。
さて、実際に福祉を取材してみて感じたのは、福祉の世界があまりにも特殊だったことです。長年仕事をされている方は特に、普通の社会とは違っていると感じながら仕事をされてきたのではないかと思いました。
そんな中で私は石原さんと市原さんに出会い、交友させていただいております。このお二方と親しくなったのは、なによりも両名が「普通の感覚」をお持ちだったからです。へんな言い方ですが。
市川さんは「その人の人生80年の暮らしに思いを馳せるのが介護である」とおっしゃっています。石原さんは「私だったらどうだろうか。この施設にいたら嫌になるだろうか、良いと思うだろうか」と先ほども講演の中でお話になりました。
これまでの福祉の世界では、こういった普通の感覚があまりにも欠けすぎていたように思うのです。
私が福祉の取材をするようになってから20年近く経ちましたが、その間の福祉をとりまく環境の変化は驚くほどですが、少しずつ『普通』の感覚に近づきつつあります。それでもまだ普通の社会と福祉の社会にはギャップがあります。それを埋めていき、普通の社会と等しくしたいという思いが私にはあります。
では実際にそれについてお二方はどのように感じていらっしゃるでしょうか。福祉にどっぷりと浸かっておられる方々として、一般の社会とのギャップを感じておられますか?
まずは市川さんからいかがでしょうか?
市川氏:
大変ギャップを感じております。私はギャップを失くすために特に言葉遣いに気をつけているのですが、介護の世界では「〜させる」「〜してあげる」という言い方をする人がとても多いんです。しかも悪気無くそういった言葉を使ってしまうのです。
けれど考えてみてください。一般の社会で、かくしゃくとして仕事をいらっしゃる80代の方に対して「あの人に〜させよう」とか「〜してあげなくては」などと言うでしょうか。
上から目線で「〜してあげる」と思うことが、福祉では良いことのように思われていて、そういった深層心理が自然と言葉に現われてしまうのです。意識しないがために、一般社会では考えられないような言葉遣いをしてしまうというのが、私は問題だと感じて直すように呼びかけています。
それからおしゃれをしたり、フランス料理を食べにいったりすると、行政の人から「そんなことをするなんて贅沢だ。在宅の人をみてごらん」と言われてしまうのです。
それぞれの生活レベルの中で最大に自分らしい生活をしようとしても、まだスティグマとして福祉を見ているという態度が出てくるのです。たとえ障害があっても、自分の望んだ生活を実現しようとするというあたりまえの考え方というのが、まだまだ受け入れられていないと感じます。
村田氏:
例えば介護保険を利用して暮している方は、やはり暮し難さを感じて生活しているのですから、誰かに何かをしてもらわなければ生活していけないわけです。そして「してあげる、してもらう」という関係は一生続いていくわけです。けれどもその「してあげる、してもらう」という関係が、そのまま人間としての上下の関係になってしまう。
石原さんはこのギャップについてどうお考えでしょうか。
石原氏:
介護する側が突然強者になってしまうというギャップを私も感じております。それ以外にも、経営者として福祉への偏見を感じることが多々あります。
私は自由契約特養というのをやったのですが、自由契約特養というのは措置の時代に、措置費も税金も使わずに建物を建て、入居者の方々も自分のお金で入居するというものです。
以前中村さんが老健局長だった頃に「石原さん、自由契約特養をやってみませんか?」と言われ、私も『自由』という言葉にほろっときて作ってしまいました。その頃は補助金と措置費の時代でしたので、なにもそんな苦労をする必要はなかったのですが、そんな時期に税金を一切使わずに施設をつくった変わった理事長になってしまいました。その施設は一ヶ月36〜38万という利用料でした。措置費を使わなかったので。そしたら「高すぎませんか?」と全国の方からずいぶん言われました。どこも取材してくれなかったし、誰も「いいものを作ったね」とは言ってくれず、むしろ「あんた大丈夫かい?」と言われてしまいました。
そのとき一番私が理解できなかったのは、病院に社会的入院したら個室料を100万円とか150万円を月に払っているような人でも、うちの36万ていう一日換算にするとホテル代と似たような金額なのにもかかわらず、それでも高いといわれてしまうのです。
村田氏:
世間が介護福祉施設というのは、貧しい者のための物だという思い込みがありましたね。でも介護保険が始まってからは、誰もが利用するものというイメージがついたかと思います。むしろいい所へ入りたいという意識に変わってきましたね。
私が驚いたのは、岩手県で特別養護老人ホームの中に、三室ほど二人用の部屋を作ったんですが、そこから埋まっていったそうです。二人部屋であれば、一室の中に複数人が押し込められているのと違って、最後に家族が看取ることもできますし。そして一部屋の中で複数人が暮していくのを我慢する時代ではなくなったのです。
高齢者施設に求められる環境も、変わってきたのだなと感じました。
その辺りについては、どう感じていらっしゃいますか? 市川さん。
市川氏:
そういうことを求める方のニーズに応えることも、重要だと思います。私はかつてスウェーデンの福祉大臣をしていた、盲目のベンクト氏がスウェーデンの福祉政策をすすめるときに「貧しい者も富める者も満足する福祉を作るべきだ」という事を大事にされたと聞きました。
富める者のためにつくるのも大事だと思います。ただ、貧しい人々がそこからはじき出されないようにすることが大事です。低所得者の方が満足できる施設や介護を保証した上で、あとはニーズに合わせて作っていけばいいのではないかと思います。
石原氏:
そういえば私が例の施設を作った時、町の議会にまで召喚されたんです。お金持ちの人しか使えないものを作るとは、けしからん、と。
ですけれど、私はその方々がみんな特養に入ってしまうと、低所得者の方の行くところがな くなってしまうんです。お金を持っている方が高いところへ行ってくださるおかげで、限りのある特養をより多くの低所得者の方が使うことができる。
飛行機に乗ると、ファーストクラスとエコノミークラスがあるじゃないですか。飛行機が落ちたとき、ファーストクラスの人が助かって、エコノミークラスの人が死んでしまうわけではありません。どっちが死ぬかわからない。それは払ったお金の金額では決まるわけがないのです。それは施設でも同じです。ただ居住性や食事等が違うだけで、介護という命にかかわるような基本的なところは一緒なんです。それが大事だと私は思うのです。
村田氏:
そうですね。経済力の有無で、受けられる介護に差が出ることは、あってはならない事です。けれど一方で、中間サラリーマン層が満足できるようなケアは、それまでの措置の時代にはあまりにも少なかったと感じます。そこを軌道修正していくというか、これから団塊の世代がどっと流入して被介護者が増えますし、施設のありようというものも変わっていかなければならないのだろうなとかんじます。
そうなってくると、経営をどうるすのかという話も出てきます。一説には特養は儲けすぎだから、介護報酬を下げるんだという話もあります。実際にそんな数字も出ているのですが、お二方にその辺りのことをお伺いしたいのですが。
市川氏:
提言でお話しきれなかった部分なんですが、最近人材がどんどん流出していく問題がでています。年間二十数パーセントが辞めてしまい、特に大都市部では福祉職員が来てくれないという問題が持ち上がっています。一番大事なのは人です。私達は人の力によって運営しているので、いい人材を育成することと同時に、辞めないということが重要になってくるのです。
なぜ辞めるのかという一番の原因が、モチベーションが保てないというものです。二番目が職場の人間関係、三番目が給与が低いことだそうです。私は人材育成について、とことんここに手を入れようと考えました。
効果の上がった事の一つが、ステップアップ制度です。きちんとステップアップできることを保証した制度を作りました。そして法人の全職員にアンケートをとってみたところ、がんばっている人が全く評価されていないことが不満の一つとして上げられておりました。そこで人事考課制度を取り入れました。これについて、最初は反対されるかもしれないと思っていたのですが、次に行ったアンケート調査では多くの職員から「良かった」という回答がありました。
他には、個人研修を徹底しました。
ただ、こういった事業が、どれだけ収益に結び付いたかもきちんと計上するようにしています。健全な会社であるためにも、それは不可分のものなのです。いいケアをして、それによりきちんと収益を上げ、そして職員が働き甲斐のある職場とすることが望まれます。
ですから、職員のコスト意識も大事です。
そして法人研修の中でとてもよかったと感じたのは、プリセプターシップです。プリセプターシップとは、新人職員に対して先輩職員を一人、一定期間マンツーマンで仕事の指導を行うものです。
昔、新人を四十人単位で四月に採用していたことがあるんですが、その新人がすぐにやめてしまうということがありました。
ところがこのプリセプターシップで、2年目・3年目の職員を新人にぴったりと張り付かせるようにして、新人の不安などをフォローしながら、一年間で習得するべき事柄を吸収させることができるようになり、そして新人が辞めなくなりました。
また今年から始めて、一番職員が喜んでいるのは、心のケア研修です。
ドイツから年五回、日本人の専門家を呼びまして、一人につき二日間ずつ、十人のグループごとに研修を行います。コミュニケーションの技法と、ストレスをどのように解消するのかということを教わります。職員たちからは、鬱だったけれど随分気持ちが楽になった等の感想を貰っています。
あと経営については、外部からコンサルタントを入れました。その結果、ケアに関わる会議以外に、経営に関わる会議をこの四年間やりました。その結果、非常に経営ベタな法人だということを知りました。ケアのことばかり考える為に、かつての四小室でも二対一の職員は一をしてしまっていました。
2003年度は非常に惨憺たる有り様だったんですが、職員が非常に強いコスト意識を持つようになってくれたおかげで、2005年度、2006年度は連続で収益が上昇しました。
当然利益は必要です。が、利益至上主義では、介護の仕事と言うのはできないと思うのです。
やはり仕事の質、事業価値を高め、それによって利益を得るようにしなければなりません。ケアの質と経営をどう融合させるということは、ひとえに職員のモチベーションを上げるかにかかっていると思うのです。そしてモチベーションをあげるには職員への研修が必要です。職員が望んでいる研修をすること。福祉のノウハウだけの研修ではなく、広く社会や人間がわかる、異業種の方や文学者などを招いての研修も取り入れていき、職員自身の人間の幅を広くしていくことです。
あしや喜楽苑では、職員の離職率が20%あって悩んでおりました。
2006年度には9〜10%へ減少し、2007年度には正規職員については5%ぐらいで抑えられそうな状況となりました。
村田氏:
やはり福祉産業は人が財産ですから、職員のモチベーションを上げることによって、結果的にそれが経営にプラスになるということですね。
市川氏:
そうですね。給料は地域の水準より少し上のものは出しているのですが、やはり一般社会と比べると低いのです。その低い給金の中で仕事をするためには、やはり意味を見つけないと難しい。するとそれは広く学ぶことによってしか得られないわけです。
村田氏:
厚生労働省の調べによる退職理由の一番が「やりがいが無い」といううものだったのです。そのためにはモチベーションを上げることが大事で、具体的な方法論として様々な研修をする。こういうことを学んだら、こんなこともできるようになるのではないか。こういうキャリアを積み重ねていけるんじゃないかという、未来図を見せることが必要なのですね。それがひいては法人の経営にもプラスになっていくということですね。
石原さんの所はいかがですか? 定期的にオーストラリアへ何回も研修に行っていらっしゃいますし、質の良い金太郎が大事だとおっしゃっていました。その金太郎飴を作るのに、どのようなことをしていらっしゃいますか?
石原氏:
やはり研修ですね。あと私は、ガヤガヤ会議とか、ようよう研究会とか勝手に呼んでいるんですが、入ったばかりのスタッフなども、誰でも参加していいよというものを作っています。普段私は会議を行っても幹部ぐらいとしかお話ができないので、こういう会議がほしいと思って作りました。で、喫茶店でゴハンを食べながらおしゃべりをするんです。
村田氏:
風通しを良くしたということですか。
石原氏:
そういうことですね。あとは私が理事長になってからは、みんなに権限を委ねて、基本的には口を出さないというようなシステムにしてしまいました。ずっとそういうスタンスでいたんですが、実は岐阜の駅前に43階建てのビルができたんです。そこの3階に医療福祉サロンを、平成19年10月13日にグランドオープンさせました。分譲マンションが200個以上あります。
そこは住宅公社の持ち物なんですが、三階は私が責任者となっています。テナントが一杯入っています。医療については私共のところではない方に来てもらったり、美容院や歯医者さん、調剤薬局やレストラン、音楽教室なんていうテナントも入っています。さらにデイセンター、訪問事業、保育もあります。
さらに八つのベットを入れました。それはアセスメントとターミナルをやるだけのためのベットです。この駅前のセンターにだけは口を出させてくれと頼みました。そして責任者となった中堅の若いスタッフを朝からつかまえて、原価計算をするように言いました。全部数字を自分ではじき出させました。
その方は今まで介護しかしたことがありませんでした。当然の事ながら原価の出し方など知りません。だから事務所へ行って「○○さんの給料は〜だから時給にすると〜になって……」と調べて、私のところへ結果を持ってきました。
それを見て「ああ、この人はそうするとタダ働きなのね」とか「この人にもお金払わないで働かせるつもりなのね」とイヤミを言いまして、基本的な経営の感覚をもてるようにと指導しました。なぜなら、ここは介護保険を使わない施設だからです。
介護保険を使わないと決めた時には、職員みんなに反対されました。私はこう反論しました「介護保険は公のお金ですよね? 住民が税金などで出し合っているお金です。それを使うからには様々な厳しいルールがたくさんあるんです。勝手に使うことはできません」
ターミナルケアにしてもアセスメントにしても、実際にはチームで仕事をします。しかし介護保険を使うと、様々な制約のためにチームでの仕事がやりにくい場合があるのです。私はどうしても良いアセスメントを優先したかったので、介護保険を使わないという試みをおこなったのです。
さて、アセスメントチームに、私はSATという名前をつけました。
スーパーアセスメントチームの略です。チームで仕事をするのは大変です。価値観などに合意が必要になります。能力の高さも重要ですが、お互いのコミュニケーションをとることも重要です。
特に在宅でアセスメントをする場合、ターミナルだと病院でお医者様を紹介してもらいますよね。しかしそのお医者さんがこう言ったとします。
「医療はわしがやる。うちにもケアマネがいるから、ケアマネもうちの使ってくれないか? 介護だけそっちでやってくれ」
なんていわれたら……。アセスメントなんて、とてもできません。ですから、私はどうしてもいいアセスメントをしたかったので、それを承知の上で、さらに介護保険を使わないことを了承してくれる人だけに来てくださいと言っております。
そして26日には私が利用者になって一日を過ごします。職員にケアをしてもらったり、食事をさせてもらったりするのです。そのとき私が彼らに言いたいと思うのは「相手の意見を聞くこと」と「ちゃんとできているよ」という励ましなのです。意見を聞くのはごく当然のことです。勝手にあれこれしてはいけませんからね。そして励ますことによって、彼らに自信を与えたいのです。
言ってみれば駅前ですから、介護付きホテルのようなものなのです。1泊2日というプランもあります。とにかくそういうものにも挑戦していきたいのです。
村田氏:
そういったものでも、やっぱり赤字が出るのは困りますね。
内心どきどきなのでは?
石原氏:
そりゃもう。本当ならこんなところに座っている場合じゃない。
村田氏:
でもその反面、自信もおありになるのでは?
石原氏:
まぁ。だって職員がこんなにもがんばってやっているのに、それに対する社会の評価が無きゃおかしいと思うのです。医療だったら三倍くらいかかっても素直に受け取るんですよ? 介護がそれよりもずっと低い値段で設定しているのに、それがわからないのなら勝手にしてくださいという気持ちです。
村田氏:
そのためにまずは自分がお客になってみるんですね。
さきほどは流動食を食べてみるとか、お風呂に入ってみるとか、体験するっていうお話を聞かせていただいて思い出したことがあります。
兵庫県のある町なんですが、そこで在宅福祉を進めようとなった頃の90年代半ばに、寝たきりを体験しようと決めて、町の職員研修としたんです。
まず職員は施設に行きます。そしてオムツをつけてそのまま排せつし、自分で動けるけれど、何か用があれば必ずヘルパーさんを呼んで手伝ってもらうのです。
1泊2日で、職員のみならず町長もそれを体験しました。すると職員たちの意識がガラッと変わったといいます。
「わが町の年寄りを寝たきりにしてはいけない!」と。
そして町にPTを増やしたそうです。
そういう体験研修というのは、意識を変える非常に有効な手段なのです。やっぱり職員にとっても他人事なんです。お世話する側には、どこかそういうところがある。だからこそ体験研修というのは必要だと思うのです。
それから施設のこれからのあり方として、地域社会との関わり方という問題もあります。市川さんのところもあちこちから集まってくれる方がいて、あれはほんとうに宝ですね。
市川氏:
自治会が徒党を組んで入ってくださるんです。たとえば納涼祭でも、家族も二日前から入って準備してくださいますし、後片付けも家族の方やボランティアの方が汗みどろになってしてくださいます。
村田氏:
これは地域性なのでしょうか。
市川氏:
ある東京の施設長に「これは東京ではできません、関西だからこそできることじゃないんですか?」と言われたことがあるんです。
しかし関西にもいろいろあります。芦屋は高級住宅地もありますし、尼崎は低所得者層の多い町だとか、その地域ごとにそれぞれ状況は違うんです。結局のところ、施設を開設するときから、どんな施設にしたいのか、そのためにどんな風に地域の方々の力を借りたいと思っているのかを明らかにすることが必要なのです。
例えばあしや喜楽苑を開設するときには、40回くらいミニ講演会や地域説明会を行いました。そして私達の施設でどんなことをやりたいのかを説明し、ご協力いただきたい旨をお話しました。ケアについてはボランティアは使わない、ケアは職員のするべきことだということも事前に説明しました。ただ職員ができないのは、入居者の生活を豊かにすることで、これは介護保険に入っていないのでこういう部分で助けてほしかったのです。
さてこのように講演会等を行い、開設の日にボランティアの参加申し込み受付を行いましたら、300人が申し込みを行って下さいました。
やはり施設からの働きかけは必要ですし、地域の行事――例えば芦屋ですとドラゴンボートレースですとか、老人会がお餅つきをするとか、マラソン大会ですとか、そういった地域の行事に職員がお手伝いに行ったり、参加したりすることも大事です。これをしないと、やはり地域の方々はこちらを向いては下さらない。待ってても地域は助けてくださらないのです。そして地域へ職員が出て行くと、地域の課題が見えてくるのです。そうすると、この地域をよくする為に私達も地域貢献をしましょうと、職員の意識も変わって行くのです。
職員も地域行事に参加することが楽しいんですよ。施設の中だけで三大介護ばかりをやってると、三年もたったら私でさえもバーンアウトしてしまうでしょう。
だからもっと世界を広げていくことが大切なのです。それが自分にも地域にもプラスになっていって、交友関係を広くしていくことが大事なのだと思います。
村田氏:
施設からの働きかけがあるということは、地域住民としても嬉しいことだと思うのです。地域の人々も何かしたいけれど、まだ特殊な世界というイメージがあり、なにかしてはいけないような気分になってしまうのだと思います。それについて施設側から近づいてきてくれることにより「ああ、やってもいいんだ」と安心するのだと思います。
市川氏:
そういえば近くに有料老人ホームが開設されるんですよ。そこへ見学に伺ったんです。そのときに「地域とのかかわりはどうなさるんですか?」と質問したんです。すると「ここは高いお金を出して入ってくださった方のためのお城なので、地域の人は入れません」と言うのです。「ここは入居者さんのお城として皆さんで守ってもらい、お買い物などに出るときはバスも出すけれど、地域の人には入ってもらわない」とおっしゃったのです。
そこは1億近いお部屋もあるような老人ホームなんですけれど、それを聞いたら「そんなところに入って楽しいのかしら?」と疑問に思いました。
村田氏:
密室に隔離してしまうようなものですものね。
石原さんの所はどうですか?
石原氏:
うちのところは年間数千人入っています。
ボランティアさんいない日がないんじゃないでしょうか? これは一番最初からのことです。
なにせラッキーだったのは、昭和51年の4月15日のオープン時に、日本赤十字の婦人会が設立されたんです。で、何かしたいという申出を受けたので、ぜひボランティアに入って下さいとお願いしました。
さっき市川さんもおっしゃったんですが、私どもも随分研修会などをおこないました。そして必ず窓口となる担当者をつくっておかなければなりません。
村田氏:
そろそろお時間なんですが、少々私もお時間を頂いてしゃべらせていただければと思います。
私先ほど、股関節の手術をしたとお話したんですが、そのほかにも大腸がんの手術もしていまして、四回入院しております。そんなわけで、介護をされる側というより看護をされる側になってきました。
つまり看護職さんとのお付き合いが長いわけですが、その中で「こうあって欲しい」と思ったことがあります。寝返りを痛くないようにうたせてくれたり、身体をキレイにしてくれることもありがたいんですが、それよりもずっと強く望んだのは「私のことをよくわかってほしい」ということなのです。
例えば長いこと寝てばかりでいると気落ちして、もう年寄りになって嫌になっちゃったとか、死んでしまいたいとか、眠れないだとか、そういうことを言うようになるんですよ。そうすると看護師さんにもよりますが「そうですかー。睡眠薬でも出しましょうかー?」と言われてしまうんですよ。私は睡眠薬が欲しくて「眠れない」と言っているわけじゃないんですよ。なんとなく長いこと入院していて溜まってしまったもやもや。これを受け止めて欲しいという気持ちが、眠れないという言葉になって出てくるのです。
それを受け止めてくれるかくれないかで、こっちの気持ちがすごく違うんです。睡眠薬を出しましょうかーなんていわれると「ああこの人には何を言っても分かってもらえないな」と思うのです。だけd「どうしました? 何か辛いことでもありましたか?」と言われると、こちらも「ちょっと気が滅入ってしまって……」と話すことができるのです。そうした看護師さんは、たとえ寝返りのうたせ方が下手だったとしても、またあの人が来てくれるといいなぁと思ってしまうのです。
患者の心理というのはそういうものなのです。
市川さんが仰っていた「入居者の80年の人生に思いを馳せる」という言葉のように、その人がどういう人かということに、もっと注意を向けてほしいのです。
そんなことを思っていたところで、この本と出会いました。
「私は三年間老人だった」
元は二十年以上前に出された本なんですが、二年前に再販されました。
作者さんは工業デザイナーなのですが、老人が本当に使いやすい製品を作るには、自分がまず年をとってみるのが大事だと考えたのです。
そこで作者さんは老人に扮して、身内も全く見分けがつかないほどに見事に老婆になって、三年間ニューヨークの町を歩いたのです。
そして老人がどんな思いをしているか。どんな扱いをされているかというのを書いたドキュメントです。
このドキュメントを書きましたら、彼女のところにたくさんの手紙が届いたそうです。その中の一通に、イギリスの看護師さん達から来た手紙がありました。
彼女たちがなぜ作者に手紙を送ったかというと、老人病棟で働く看護師さんが亡くなった老婦人の荷物を整理したら、一編の詩がでてきた。それがとても私達に感銘をあたえたので、ぜひ見て欲しいとのことだったのです。
その詩を読ませて頂きます。
*******************************
何が見えるの看護婦さん。あなたには何が見えるの?
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう。
気難しいおばあさん。
利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく、
目をうつろにさまよわせて、食べ物をポロポロとこぼして、
返事もしない。
あなたが「お願いだからやってみて」と大声で言っても、
あなたのしている事に気づかないようで、
いつもいつも靴下や靴を失くしてばかりいる。
面白いのか面白くないのか、あなたの言いなりになっている。
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり、
これがあなたの考えていること
あなたの見ていることではありませんか?
でも目を開けてごらんなさい。
あなたは私を見てはいないのですよ。
私が誰なのか教えてあげましょう。
ここにじっと座っているこの私が。
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が。
あなたの意思で食べているこの私が、誰なのか。
私は昔、10歳の子供でした。
父がいて、母がいて、兄弟がいて、
皆お互いに愛し合っていました。
16歳の少女は、足に翼をつけて、
もうすぐ恋人に会えることを夢みていました。
20歳でもう花嫁。
守ると約束した誓いを胸に刻んで、私の心は躍っていました。
25歳で私は子供を産みました。
その子たちには安全で幸せな家庭が必要でした。
30歳、子供はみるみる大きくなり、
永遠に続くはずの絆で、親子は互いに結ばれて。
40歳息子たちは成長し、行ってしまった。
でも夫はそばにいて私が哀しまないように見守ってくれました。
50歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
愛する夫と私は、再び子供に会ったのです。
辛い日々が訪れました。夫が死んだのです。
先のことを考え、不安で震えました。
息子たちは、みな自分の子供を育てている最中でしたから。
それで、私は過ごしてきた年月と愛のことを考えました。
今、私はおばあさんになりました。
自然の女神は残酷です。
老人をまるでバカのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。
身体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところには、今では石ころがあるばかり。
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて、
何度も何度も私の使い古しの心は膨らみ、
喜びを思い出し、苦しみを思い出す。
そして人生をもう一度愛して生きなおす。
年月はあまりに短すぎ、
あまりに早く過ぎ去ってしまったと私は思うの。
そして何者も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。
だから目をあけてよ看護婦さん。
目を開けて見て下さい。
きむずかしいおばあさんではなく、私をもっとよく見て。
*******************************
こういう詩が、おばあさんの持ち物からでてきたのだそうです。
それを見た看護婦さん達は非常に感激して、コピーをして病院のスタッフ全員に配られたそうです。
よく福祉の人が利用者の立場に立ってといいますけれども、本当に利用者の立場に立つとはどういうことなのか。これをもっと考えてみてほしいのです。
ご老人方が「私を見て、私をもっとよく解って」という言葉を本当に受け止めて、お世話をすることが、利用者の立場に立つということになるのではないかなと思います。
以上で、三人の鼎談を終わらせて頂きたいと思います。
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