市川さんも理念のお話をされていましたが、私達も理念という一つの柱を持って活動してきたのかなと感じます。私共の施設は1976年に建てられた非常に古いものです。当時の理事長は地域医療に従事する外科医でした。その方が、高齢者の状況をみて「自分が入っても満足できるような」老人ホームを作ろうと考えたのが私共の施設のはじまりでした。私が設立から三年後に理事長に就任しました時、まだ30代でした。その当時から「私がここに入居者として入ったら?」と考えながら運営を行っておりました。
私どもが老人ホームを始めた頃、全国大会があったときのことでした。当時寮母さんと呼んでいた方々が参加していたのですが、講師の方が「自分の施設に入りたい人はいますか?」と尋ねたそうです。うちの施設の金丸という者が参加していたのですが「自分はみんな手を挙げると想像していたし、自信をもってはりきって手をあげたけれど、周りは誰も手を挙げなかったのでひどく驚いた」と報告しました。自分が入って満足できないものに、毎日時間をつかうのはものすごくもったいない事だと思うのです。
私どもの施設は開設の三ヶ月前に全職員を採用しました。そして職員研修を行ったのですが、お年寄りがいらっしゃらないところでやったのは、本当にもったいないことでした。
私は父と「こんな設備もほしい」「こんな物もいるだろう」と夢を語り合いながら億がつくほどのお金を寄附して老人ホームを作りました。おかげで三十年以上経ちましたが、まだ見れるような状態のものに仕上がっています。
しかしスタートした頃に、隣の岐阜県の法人で国からの補助金を理事長が懐に入れたという事件がありました。国会にまでもちこまれる大問題に発展したのですが、そのせいで身内の経営はダメだということになり、池田町の役場にいた方がまず施設長になりました。
その三年後に私が施設長に就任したのですが、その頃には玄関に車椅子がみえるように並べてあり、二階の重度の方の部屋では、みなさんが寝たきりの状態になっていました。そしてパンフレットを見ましたら、お年寄りの一日の日課、起床、朝食、オムツ交換の時間が書いてあるんです。で、二十四時間のうち5回あるんです。私だったらと考えてみたんですが、とても5回ではすまないのではないかと思いました。また、もし換えてもらった後に出てしまったらどうするんだろうと心配になったのです。
最初に相談して建てた時のまま、いろんな夢を描いてやってきた私は、あまりの現実との落差に驚きました。さらに職員会議で私がお正月三が日にお雑煮でも食べさせてあげたいわと言うと、発言もないままじーっとみんなが私を見るんです。そして中に勇気のある人がいて、私に言いました。
「お正月なんて人の少ない時にお雑煮なんかを出して、喉につまったらどうするんですか」
そういうもんかなぁと私は首を傾げました。
またその頃、特に規則というのはなかったんですが、入浴は週に2回となっていました。その2回が、特浴だけは1回しかしていなかったんです。うちの施設には当時どこにもあまり入れていないような機械をいれていたんですが、それでも週に1回しかやっていない。
「せめて2回はやらないといけないんじゃないのかな」といいましたら。
「お年寄りが入りたがらないんです」
と、こう返って来ました。そういわれてしまうと仕方ないなぁと思いました。が、施設長というのは長とつくだけあって、ちょっとした権限を持っています。
「でも規則で2回と決めているんだし、みんな2回にしないと……」
こう言いましたら、まだ睨んでいる人もいたんですけれど、中にはそうだよねと思ってくれる職員もいました。そういった人達が「今日は人手があるから、入浴をやってみようか」ということになり、そうしているうちに2回が当り前になり、慣れてしまうともっとやろうという感じで入浴が増えていきました。
入居者をたくさん抱えていると、職員も人間ですので質に波があるのはあたりまえだとは思うのですが、それをどうやって底上げするのか、というのが課題です。私は研修をやることで質を保とうと考えています。
そのきっかけになったのは、私が施設長に就任して間もなく、オーストラリアへ行ったことです。そのオーストラリアで見た光景に、当時理想と現場のギャップに落ち込んでいた私は大変励まされました。
30年前に訪れた当時、既にオーストラリアでは寝たきりの老人を見かけませんでした。オーストラリアでは寝たきりにならないんだろうかと思いましたら、そうではなく、みんな離床させているんです。そして誰一人寝巻きしていないんです。朝になったら職員がワードローブを開いて
「今日はどの服を着ましょうか」と聞いているんです。
それから夜は誰一人おむつをしていないんです。私はオーストラリアにはおむつが無いのかと思ったのです。そこでオーストラリアの方に聞きましたら「おむつは赤ちゃんに使うものじゃないんですか?」と言われてしまったのです。赤ちゃんに使うものを、一度成人した人間に使うことは、その人の人として生きる力を失わせてしまうから、専門職として使うわけにはいかないのですと言うのです。
私はカルチャーショックを受けました。そして、こういった体験が力になりました。髪の色が違ったり食べるものが違ったりするかもしれないけれど、同じ人間がそういうことをしているのだから、私達でもやってやれないことはないのだなと感じたのです。
オーストラリアから帰国して、私は職員に「どこでもいいから介護施設へ行って、二泊三日ぐらいで視察してきてください」と言ったのですが、みんな「こんなに忙しいのに、お金とヒマをつかって行ってられません」と言われてしまいました。なので、初めのうちは半強制的に視察へ行かせることにしました。
そういった視察が普遍的になりつつあったある時、職員が言いました「職員をしょっちゅう視察に行かせていますけれど、そんな施設長のことをみんなが何といっているか知ってますか?」
当然そんなことは知りませんのでそう応えましたら「他のところはうちよりも給料が高かったとか、休みが多かったとかそんなことばかりしゃべってるんですよ」と教えてくれました。だから時間とお金を使ってそんなことをするのはもったいないのだというのです。
私は「かまわない」と答えました。口から出てきている言葉はそうでも、心の中では「こんなことやったらいけないなとか、この辺りはうちの方がいいな」と思っていることがあるはずなのです。
私はさらに、その頃からオーストラリアにも研修に出し始めていました。最初は2・3人ずつ。そのうちに数人ずつ行かせるようにしました。
さて、当時体験実習を思い切ってやることにした時には、みんなから一斉に反対されました。なのでまずは管理職からやることにしました。そして特浴を行おうということになりました。その頃の私はまだ羞恥心が強かったので、水着を着て特浴に入れてもらいました。しかしその当時の60代の婦長さんが、何も着ずに特浴に入った時は私は自分が恥ずかしくなりました。口でえらそうなことばかり言ってきたのに、なんて根性が無かったのだろうと。反省して、次は私も裸で入りました。
次に食事体験を行いました。一年間みんなで順番に介助を受けての食事を行いました。目を見えなくして食べてみたり、利き手を使えない状態にして食べてみたりもしました。当時、寝たきりになった人のための楽々ごっくん≠ニいうのがあったんですが、赤や青のゼリー状のものを口に注入する食事だったんです。それを私が体験したとき、入ったばかりの新人さんが私の介助を行いました。入ったばかりなので、緊張して早く終わりたかったのだと思います。彼女は一気に口の中に注入してきたので、私はのどがつまりそうになって目を白黒しながら飲み込みました。すかさず次がきて、本当に苦しかったです。なんというか、食べて満腹感が得られたかというと、そんな感じは一切ありませんでした。
こんなのは今はもう、みなさんしっかり勉強していらっしゃるので、食事というのはどういうふうに消化され、どういう風にしたら楽しめるのかというのはご存知だと思います。しかし当時は、そういうことを手探りでやっていったのでした。
さて、介護の質とは何なのでしょうか。
今日は資料として「日常ケアの中で育む介護観」「尊厳ある介護をどう伝えていくか」という私共の施設長のレポートをお借りしてきたのですが、その中で、私どもの施設に研修に来た方が「誰に聞いても同じように教えてくれる、まるで金太郎飴みたいだ」という感想を持たれたという話があります。中には悪い意味でそうおっしゃった方もいたようです。この施設の職員は何の個性もないと。そこにがくっと気落ちした職員もいたようなんです。
けれど、利用者の側に立ってみたらどうでしょうか。素晴しい職員がいる一方でそうでもない職員がいて、そのお年よりは素晴しい職員には担当してもらえなかったとします。そんな状態では、ヘルパーさんよりもお年寄りの方が、ヘルパーの勤務表がほしがるのではないかと思うのです。
「あ、あの人が夜勤……この日は死んだフリしないといかんな」と考えるようになってしまうのではないでしょうか。
私は質の良い介護というのは金太郎飴みたいなものだと思うのです。
けれどまずい金太郎飴ではいけません。おいしいものこそ毎日味わいたいと考えますし、みんなに分けてあげたいと思うものです。
介護の質というのは、みんな悩みます。人間ですので、多少ぐらつくことだってあります。けれどもこれ以下になることだけはないという線を引くことが、利用者の側になったときに一番安心できるし、良い介護と言っていただけるのではないかと思うのです。
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