2006年度第19回シンポジウム

「福祉の国デンマークの認知症ケア最前線」

 

 

 

 

― 質 疑 応 答 ―

Photo:質疑応答風景

司会   : それでは、質問のある方は挙手をお願い致します。
質問者 1:
ロルフ・バング・オルセン氏にまず質問したいのですが、今日のシンポジウムを聞いておりまして、その中でも「利用者に対するポジティブな理解の仕方」が一つのキーワードになるのではないかと感じました。ロルフ・バング・オルセンさんが地域精神医療班で二週間以内で在宅の方のところへ行かれてアセスメントを行うと伺いましたが、その際にポジティブな面、長所を把握するというお話がありました。日本でもユニットケアの中でもネガティブなアセスメントからポジティブなアセスメントへの移行をと言われているので、もう少し医療の面も含めたポジティブな理解の仕方というものについて、事例をお話いただけないかと思います。
オルセン氏: 例えば、私が利用者の所へ向うときには、その方に対する質問事項を用意しておきます。
質問の内容は、脳の機能がどういう状態で機能しているのかを確認できるものになっています。内容の詳細としては、二つに大きく分類されます。一つはインテリジェンス。どのくらい物を覚えていて、脳の機能が働いているのかという分野。そして計画性など、予定を立てること、例えば自分の将来をどんな風に考えているのかというような意思表示ができるかどうか、です。
もう一つの分野は、感情です。この質問をしながら、私は利用者の様子を観察します。表情の観察です。利用者の表情が、話している事柄とつながりがちゃんとあるかどうか、が焦点となります。
たとえば、彼に関係している職員からの情報も、私の元に入ってくることになります。職員からは、この利用者が家に閉じこもってばかりで、椅子に座って窓から外を眺め、何もしないという話を聞く事ができます。そのバックグラウンドを頭に入れて実際に彼と話をしていきながら、彼自身の人生暦について知識を深めて行きます。そして彼、もしくは彼女の話の中で、例えば長年専業主婦をやっていたという話が出てきたとします。その時に彼女がどんな表情でどんな風に話しているかを観察します。そして専業主婦であるという事が、彼女の人生においてどのくらい比重の大きな出来事であるのかを推測していきます。
観察している間に、私は「彼女はこんな瞬間にユーモアセンスを発揮するんだな」とか「こんな瞬間に生き生きとした表情をするんだな」という部分をピックアップしていき、職員から聞いた情報を元に「では、活動的になるような薬を出しましょう」などという対応策を立てることができるようになるのです。
その代わり、治療の一環としてアクティビティを行いましょうとなった時に、職員の方々に対して、彼女が生き生きとした表情になる場所の情報提供を行います。そこで彼女がやり慣れている事を治療として取り入れて、彼女を支援していきます。
質問者 1: ありがとうございました。
質問者 2:

先ほど認知症ではないけれど、認知症に似た症状を起こすものについてお話があったと思うのですが、その割合はどの位ですか?
オルセン氏:
私の経験の話になってしまいますが。
認知症の疑いがあるということで診断の依頼が来て、判定を行うのですが、その中でも実際に認知症だった人はおよそ三分の一、もう三分の一が鬱病、残りがその他の原因という割合でした。
質問者 2:
もう一ついいでしょうか。講演の中で家族や地域の人々が認知症について理解することが大切だというお話がありました。今、日本でも認知症サポーター100万人キャラバンというものが行われていますが、その支援者にどういうポイントを相手に伝えるべきかというのを教えて頂きたいのですが。
キヤステン氏: デンマークで中心的に行われているのが、正確な情報を発信す
ることです。人間と言うのは、見知らぬ物に出会ったとき、なぜこんな行動をするのだろうという事象に対して、説明を必要とする生き物なのです。正確な情報があれば、認知症の人とであった時にも、適切な対応を行うことができるようになります。
さて、その正確な情報を伝えるポイントについてです。
一番多く聞くのが「どうしていいのかわからない」という状況です。家族自身が「どうしていいかわからない」状態になって共倒れになることを防がなければなりません。
例えば夫婦の生活において。奥さんは健常で、夫が認知症になってしまったとします。奥さんはいつも夫と話し合って様々なことを決めてきたのに、それができなくなりました。けれど、奥さんはその状況が理解できずにいます。
「いつも話し合ってきたじゃない。なんで私の話していることがわからないの?」と悩んでしまいます。
そんな彼女に、なぜ話している内容を夫が理解できないのかを、その人に問題があるのではなく、脳の機能に欠陥が生じてしまったのだということを理解してもらうのです。
それにより、無理な要求を夫に付きつけ続けて、共倒れになってしまうことを防ぐのです。
ここでの情報提供のポイントは、近くにいる家族やヒトに、なるべく沢山の正確な情報を伝えるということになります。
また、デンマークで大事にされているのは、家族同士のつながりです。同じ状況にいる家族同士が集まった時に、世間的には禁忌とされるような感情についても話し合うことにより共感でき、ストレスを軽減することができます。また、共感によってネットワークが広がります。
デンマークではそうできる場を与えることが重視されます。
そして認知症の人が生活する地域社会、周りの環境について。美容院や警察署など様々なものがありますが、そこに対しても、なぜ彼がそのような行動をとるのかについて、情報提供を行うこともしています。
質問者 3: 高齢者と認知症の方について、小さな子供と対話するなどといった接点は、有効なのかどうかを教えていただけるでしょうか。
オルセン氏: 経験からいいますと、とてもいいコミュニケーションがとれると私達は考えています。
デンマークでは、高齢者センターやユニットが町の中にあるので、幼稚園の近所に建てられる場合が多いのです。そこで、地域ごとや施設ごとで話し合いをして、季節ごとの行事があると幼稚園の子供たちがセンターやユニットを訪れたり、若しくは高齢者の側が幼稚園を訪問するなど、交流がさかんに行われています。
子供たちに接した高齢者は、子供の表情や行動からインプットが行われて思考が生まれるという、メッテの話した一連のプロセスが発生することとなり、彼らに大きな影響を与えるのです。
質問者 4: 日本では数ヶ月前に行われた調査で、認知症が病気であることを知っている人の割合が50%であると発表されました。デンマークの一般の方は、どれくらいの割合の方が認知症が病気だと認識しているのでしょうか。
オルセン氏: デンマークでは、一般の方でも「認知症が病気である」という認識は高まっていると考えています。なぜならば、デンマークの社会省が中心となって、国全体にキャンペーンを行ったんです。
全国各地を回って、オープンハウスで「認知症とは」という講演会を行い、情報の伝達を行いました。
ですので、現在一般国民の認知症に対する意識や知識は、高くなっていると思われます。
質問者 5: 千葉先生に質問なのですが、日本ではノーマライゼーションに対する考え方について、日本では教育を例にすると日本全国同じものを与えるという考え方をしていることが多く、一方デンマークでは個々が必要としているものを与えるという形に思えるのですが、そもそもノーマライゼーションを提唱したバンク・ミケルセン氏のような方が生まれるような土壌というものが、デンマークにはあったのでしょうか。
日本で仕事をしていると、認知症の人も含めて障害を持つ方が守られていくためには、普通の生活ができるよう援助することが必要なのだということを啓蒙することから始めなければならないのではないかと感じるのですが、その考え方を生み出したバンク・ミケルセンについて、千葉先生からお聞きできればと思います。
千葉忠夫氏: そもそもバンク・ミケルセン自身は、社会省の人間でした。
そしてノーマライゼーションを提唱したのですが、彼の土壌についてを語るためには、そもそもデンマークがバイキングの国であったことから説明する必要があります。
バイキングの間では、階級差がありませんでした。
強い物が食料や他国の物を奪い取り、弱い者に与えるという、原始共産主義の世界だったのです。つまり、強い者が弱い者を助けて生きていく社会でした。そういった考え方が、デンマーク人の遺伝子に刻まれているのかもしれません。
それが今に至るまで受け継がれているのです。
バンク・ミケルセンのノーマライゼーションとは、1959年法で唱えられたものを訳しますと、「知的障害者の生活水準を、知的障害のない人々の生活水準に可能な限り近づける」という一文になります。
これはどういうことかといいますと、1950年代の知的障害者の生活というものが、あまりにも健常者の生活水準からかけ離れているという現実に、バンク・ミケルセンが憤りを感じ、知的障害者の親の会の人々と一緒に立法化を進めたのです。
それを日本で「等生化」と言い表したようですが、これじゃなんだか良く分かりませんよね。
そうかといって、学校もなにもかも、障害を持った人と全く同じにできるかというとそれは不可能なんです。ゆえに、不可能なことを認めたうえで、より近づけていく可能性を追求していくことが、ノーマライゼーションなのだと思います。
例えば知的障害がある方に、普通の高等学校へ行けと言ったとします。ここに既に矛盾を感じませんか? 何故それが平等なのでしょうか。
この例一つでもわかるように、平等に対する考え方が、日本と私達デンマークの人間では全く違っているのです。
本当の平等というのは、その人に合った、その人に必要な支援であると、私はバンク・ミケルセンから教わりました。
ヤーンセン氏: そこに一つ付け加えてもいいでしょうか?
デンマークでは「普通とは何か?」というディスカッションも行われました。
その時に「普通」はどれかという統計を取ったときに、一番グラフの山が高くなる箇所を「普通」と定義するのか、それとも「普通」だと言った箇所、山が小さいところも全てを「普通」とするのか。
その時に知的障害があろうが、身体障害があろうが、高齢者であろうが、認知症であろうが「これが私の普通である」とそれぞれが主張する権利を持っているのがノーマライゼーションであるという発言がなされました。

 

 

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